散財プロデューサー(败家总监)のクロスボーダー生活

個人消費とライフスタイルが国境を越える時代に 思うことを述べていきます

イノベーションは「全否定」からは始まらないのだ!

化粧瓶や薬瓶は昔はガラス製だった。

それも化粧瓶は様々なデザインを凝らした特別製だった。

そんなガラス瓶は、ビールや日本酒の瓶のようにリユースやリサイクルができない。特殊加工しているから自治体も回収してくれない。別に集めて砕いて道路の資材などにするしかない。リサイクルされず、捨てられず、あるいはそのまま埋め立てられることも多かった。

 

それで化粧品業界は、むかしは瓶を店頭で自主回収していた。つい2013年くらいまで。

しかし、それはとても負担でもあったのだろう。そして環境対策として、リサイクルできるプラスチック瓶へと切替がすすみ、今は香水の一部を除いてほぼすべての化粧品がプラスチック容器になった。それに伴い、自治体の回収システムにのれるようになったことから、店頭での回収をする必要がなくなった。

 

ではプラスチックのリサイクルはどうなっているか?というと、ペットボトルのように再び原料として再利用する「マテリアルリサイクル」、化学反応によって油やガスに戻して燃料にする「ケミカルリサイクル」、最後はもともと石油製品で熱量をもつ素材だから、燃料になる。そのまま燃やしてエネルギーに変える「サーマルリサイクル」。原料として再利用されるのは22%だが、燃やして燃料にするリサイクルを含めると有効利用率は83%というのが日本国内の現状である。(2016年一般社団法人 プラスチック循環利用協会資料より

 

さて、今日のテーマはここから。「クロスボーダー消費市場で日本国外に持ち出される化粧瓶を回収してアップサイクル品を開発しよう!」という事業に取り組み始めたのだけど、それに際して廃プラ(廃棄プラスチック)を扱う環境関連の書籍や記事・ブログを片っ端から読みあさった。いつも新しいテーマに取り組むときは、平気で10万円くらいは新旧の本を買いまくって目を通す。古い世代だなあと自分でも思うけど。

 

今回その結果、ちょっとうんざり。なぜならかなり多くの本が、2極化し互いの全否定から始まっているから。つまり、「サーマルリサイクル」はエネルギー効率が悪く空気を汚し、とてもリサイクルとは呼べない、こんな処理にリサイクルと名付けているなんて欺瞞だ世界に向けて恥ずかしいと徹底的に「燃やすこと」を否定する本(論者)と、「マテリアルリサイクル」は本来薄まってしまって「もう資源とはいえない」ものを無理やりかなりのコストをかけ環境も汚して再利用している偽善だ、そんなこともうやめてしまえという本(論者)。お互いに全く相容れない主張の方々がいっぱい書き散らかしている。で、どちらも理想は「リデュース(削減)」だといい、さらに玉虫色だと行政をけちょんけちょんに非難していることも特徴。

 

なんかやだなあ。この「全否定」から入る雰囲気。

どちらも「環境村」に住んでいる人たちなのに。

この双方からは僕らが面白いと思うイノベーションが起きそうにないよ。

 

むしろイノベーションが起きそうなのは、双方から非難されている行政セクター。

きっと一人一人の職員は、計画をつくっている人たちはいろんなことを考えている。

でも現実と向き合わないといけない、いくらか腑に落ちない部分があっても

黒か白かを判断して仕事をしないといけない。

 

でもきっとそこに、葛藤の中にイノベーションのネタがある。

惰性に流されてさえいなければ、

時代が変わり、技術が変わり、意識がかわると、

ちょっと(時にはかなり)現状を改善できる

何かを生み出せるかもしれない。

 

ここのところ「わが社はどんな”社風”にしようか?」とメンバーに問いかけを

しながら思うのは、「全否定から始めない」ということ。

 

単純な理由だ。それはイノベーションは辺境から、数パーセントの可能性から始まるものだから。全否定(あるいは全肯定)への疑問から生まれるものだから。

「空気を澱ませない」といってもよいかもしれない。

「風通し」というと、「風(大きな声での主張)」ばかりが吹き抜けていって

無口な人が参加できない雰囲気になっちゃうのだけど、

そんな吹きっさらしの社風ではなくて、

そんなに空気は動いていないけど、でも澱んではいないというような

そんな感じを大事にしてみたいと思う。