母校MBAでの講義に思ったこと(2)
昨日、台湾出張からもどってきました。
往路は成田発だったので、京成スカイライナーのチケットを買おうとしたとき
私の前の人がスマホを忘れていった。
「これ、忘れてますよ!」
と10mくらい追いかけて、渡して感謝されたのはよいのだけど
もどってきたら私のスマホがなくなっていた。
京成電鉄の人たちはとても親切に探してくれたけど、残念ながらみつからなくて
そのままスマホをもたずに出張していました。その後日談はまた次の機会に。
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さて、母校のMBAで留学生を相手に講義をして、どんな「危機感」を感じたかというはなしの続きです。それは目の前の学生や先生一人一人の質だとか性格だとか、考え方がどうだこうだという話ではない。
最も一橋らしい(と私が思う)「経営学修士(MBA)」というコースにおいて、しかも「世界に天翔け五大州に雄飛せよ」ということで日本へと越境してきた留学生において、一橋大学の「建学の精神」、つまり「ブランディングが継続していない」ことが「すでにあたりまえになっている」ことの危機感です。
どこの国から来ていても、年齢が何歳であっても
みんな研究者の卵、ポスドクのような雰囲気の「真面目な」学生たちでした。
面白い人かどうかはわからない。関心もそれぞれでしょう。
でも、ここが東大であっても筑波であっても、早稲田や慶應であってもきっと全く違和感はない。別に一橋大学の大学院、MBAでなくてもよかったんだ。
たぶんそういわれても彼らは違和感を感じないでしょう。
ちょっと挑発的にいうと、一生懸命勉強してきた自分のプライドを満たせるような、日本の有名大学の大学院であればよかった。そこを終了したら高給かつ周囲に自慢できる(この”自慢”がうすっぺらいのだけど)仕事に就ければよし、もしうまくできなければ、そのまま大学院に居続けたいというオーラを、「日本人よりも素直に」漂わせた学生たちでした。
だぶんこれでも違和感を感じないと思う。
でも、それ自体が「すでに一橋大学のブランディングが継続していない、浸み込んでいないことが、MBAにおいてはあたりまえになっている」ということです。
以前からうすうすはそう感じていました。MBA修了生は学部卒の我々とのネットワークにもほとんど参加せず、MBA同士でも上下の関係性がとても希薄です。つまり「母校愛」が非常に弱く、淡白を通り越して「ほとんどありません」。留学生も同学年しか知り合いはいません。当然、「先輩に頼る」とか「後輩をかわいがる」ということを見聞することもありません。
しかし、「ネットワーキング(人脈とその活用&多種多様な分野の人たちとのコミュニケーションスキル)」を欠いたMBAとはいったい何なのでしょう?ハーバード、スタンフォード、MIT、コーネル等々、憧れの歴々たるMBAホルダーのネットワークと母校愛が強烈であること、それは一朝一夕で発生したものではなく、大学・OBが長年にわたって育んできた「文化」であることは誰もが知っていることです。そして「君子の交わりは淡きこと水の如し」といいながら、他大学から呆れられるほど同窓のつながりが濃い一橋において、MBAがもし米国同様にネットワーキングを駆使できる、むしろその核となるコースであったら、どれほど一橋大学とこれまでの同窓生にとって有益で、かつ留学生にとって魅力的でしょうか?
これは学生はもちろん、個々の先生の問題ではなく
大学そのものの問題であり、危機感を感じるべきと思います。
間違いなく一橋大学(院)に、MBAで「Captain of Industry」を育成する、ブランディングを継続させる意思がないから、こういう雰囲気になったのだと思います。
それに、もし一橋MBAが「ネットワーキング」を身に着け実践する場であったならば
「新卒と同じようにES(エントリーシート)を書くべきでしょうか?」
なんてことで大真面目に悩むような留学生をつくるとは思えないですよね。
さらに私のようなOBを招聘して
もし日本の就活戦線に途方にくれたら「クロスボーダー人財」として挑戦しよう‼
~グローバル人材にもモラトリアムにもなりきれないYOUへのアドバイス~
なんて講義をする必要もないのです。
そういうわけで母校に危機感を感じたのだけど
同時に私は、自分ややろうとしている「クロスボーダー人財育成」が
間違っていないなとも自信を持つことになりました。